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個人見解

借金は恥ではない

先日、高校時代の寮の友人から悲痛な連絡をもらった。多額の債務を負った。親の自宅を一部抵当に入れある事業をしたが、上手くいかず、その家を売ろうと考えているが買い手がすぐに見つからず、借金期限に間に合わない可能性が高い。何とか助けてくれという内容だった。私は不動産業を営んでいるので、競売などにも詳しく、知識は提供できるが、お金は提供できないと断った上で、売ろうとしている不動産を見に行き、売り出し価格の金額の妥当性も検討した。価格は妥当だが、物件がが駅から遠く流動性が低いので、右から左とはいかなそうである。友人は、その後、不動産が売れるだろうから、返せるのでお金を貸してくれと頼んできたが、今回それを断った。

実はその友人には、以前からまだ彼が数百万の借金の時に、数十万だがお金を貸しているが返済がされていない。お金を貸したときはまだ再生の可能性が高いと思っていたので出せたが、今回は数千万円の負債総額である。とても、僅かなお金で救えるはずもないし、資金使途も、他の借金返済のための借入れである。僅かな額なら再生のための借金ならたとえ返ってこなくても友情で考えなくもないが・・・。

友人は、私が断ると判ってはいたが、一部の望みで頼んできたと見え、その後、体調不良をきたしているので、万が一の場合、親にこれ以上迷惑が行かないように、頼んできたら弁護士を紹介してやってくれといった。その時、うかつにも判ったといってしまって、なぜ、その時お前がしっかりして面倒を見ないんだって切り返せなかったのを、現在後悔している。この話、つい最近の話で、まだその後の進展は知らない。

なぜ、このような話をするか・・・。実は、以前私も大きな借金を背負ったことがあり、その時の苦しみが判るつもりでいるし、どう考えたら良かったかも、今だから自分なりに語れるつもりだからである。

借金が返せないということと、あなたの人格とは無関係である。借金が返せないなんて、恥ずかしい・・・。人間失格であると考えるが、そうではない!

ポイントは、お金のこととあなたの性格を同一化しないことである。これについては、「借金で死なないための20の法則」 林 弘明 (著)に共感するし、詳しくは、この本に限らずテーマに近いものを読んでもらえれば良い思う。

この時代、このような話はゴロゴロしていると思う。この事象、精神的な心配が、体に変調をもたらす典型だと思う。

この友人も私も、本来的には性格的に明るく、塞ぎ込むなんて考えられない人間であったが、状況でそうなってしまうのである。なるべく早く整理して、次に行くこと。そして整理する過程で自身を再構築する必要があるが、その時に、自分の自信を構成するものが何だったのか思い出し、その上で、新しい自分はその上に何を作る必要があるかをプラスして、進むのが肝心だと思う。私の最初の原稿「マイルーティン」は、そのプロセスを綴った物だが、今読むと、多少表現がつたないかもしれないので、恥ずかしいが・・・。それはそれとして、

人間としての節度は必要だが、恥なんて誤解が多い概念なので、特にお金と切り離すこと!

特に業務として金貸し業を営むところに対しては、借金を返せないのは恥という概念を持ってはいけない!大体、貸し倒れをそう言うところは計上しているんだから、淡々とビジネスとして接しましょう。

 

 

 

自殺推移

政府のアナウンスメント効果もあるが、日本人の自殺の上昇が問題となっている。個人的なコラムで「自殺大国日本」にも書いたが、年間3万人を超えた自殺者を出したのは記憶にも新しい。この傾向は、最近のものかどうか、ちょっと気になって調べてみた。そうすると意外なことが分かってきた。

実はOECDの調査によると、日本の自殺は人口10万人辺り1990年が一番低く1997年に上昇するまで、少ない時代であった。確かにここ10年高いが、実は調査が開始された1960年辺りの自殺率はもっと高かったし、バブルの前の1983-1986年辺りと今とではさして変わらない。ある意味、自殺が社会的に元々あった国と言えるのかもしれない。自殺率の高かった国フィンランドは歴史的に日本より高かった。suiciedinternational

ただ問題なのは、歴史的に自殺が多かった国の自殺率が近年下がり、日本と韓国が上昇傾向ということである。ドイツの自殺率の下落推移を見ると本当に改善されているなと思うし、フィンランドでさえここ数年は日本を下回り始めた。

この原因が何にあるのかは分からないが、社会的、文化的な背景があるようにも思う。これらの要因を緩和修正するようにしないと、政府の言う自殺が多すぎる問題は解決しないであろう。

個人的な感想はコラムにかいたが、借金に対する考え方、再挑戦に対する受け入れ、恥に対する考え方の是正が無いと、改善しないのではないかと思う。なんだかんだいって、長寿国日本である。フィジカルな面での問題が他国に比べてあるとは思えないので、自殺率が高いのはメンタルの問題がより大きいのだろうと思う。

suicidebyage

 

また、年代別自殺率を見ると国によって年代ごとに自殺するパターンが出る。アメリカのように年代に関係ないところもあれば、高齢者になるにつれ自殺率が高まる韓国のような国、逆に高齢になるほど自殺率が下がるニュージーランドのような国、働き盛りに自殺が多い日本のような国と、そのパターンは様々である。一概にどのパターンがいいとは言えないが、高齢になるほど高まるパターンと、働き盛りにリスクが高まるというパターンは、ある程度、社会的な価値観、プレッシャーを変えることによって是正され易いのではないかとは思う。

いずれにしても、情報をどのように伝えるかが大きなポイントになるだろう。

景気とうつ

不景気になって、社会全体がコストに防衛的になり、モノを売るすなわち、営業をするものにとって、逆向の状況になっている。売れていたものが売れなくなる。今までと同じコストじゃ買ってくれない。まあ、環境・状況を鑑みればある意味普通のことなのだが、一個人の立場で営業で周って断られる頻度が増えていけば、個人を否定されているようでどうしても滅入ってしまう。もちろん、熟練者は、あくまで商品を否定されているわけであって、個人を否定されていないとわかっている、しかし、売らないと稼いでいないから身の危険を感じるわけで、それが焦りを生んで、気が滅入ってくる。

ここで判るように、不安には段階がある。ひとつは、売れないことが、自分を否定されていると考えてしまうことで、自縛すること。売れないということで、戻ってその組織に自分の存在を認めてもらえないという不安から落ち込むこと。さらには、売れないということで、これでは稼いでいないから生存が危ういから不安になること。

最初は、営業のいろはで自己否定されているわけではないという、考え方を持っていくのがポイントであろう。2つ目は、組織の中での自分の認められ方に対する考え方を改めて考察しする必要があるだろう。問題は売ることなのか、認められることなのか、自分自身整理することだと思うし、認められるとは必ずしも売ることではないと思う。この辺りは、バレーボールでアタッカーが全てキャプテンじゃなく、レシバーだってキャプテン足りえるし、そのときは自分で点が取れなくても、点を取るようにつなごうとするという考え方に近い。また、毎回自分が点を取るわけじゃない。

最後の、組織からだけではなく、生存が危ういから不安になるというのは、これは厄介である。まあ、社長じゃないことを前提に書くと、自分そのものじゃなく、商品の売り方なのか、商品そのものなのか、値段なのか何らかの問題があるから売れないわけで、これはメンタルの問題じゃなくて、経営、変革をしないと解決しない。むしろ、組織全体を変革に向かう努力をしなければならないと思う。まあ、普通できそうもないと考えると身の振り方を考えるということになるが、選択肢があればよいが、案外逃げ場がなかったりする。社長とかの立場になると、企業が存続しないとどうしようもないわけで、ヒトを切ってでも生き延びないとならないので、変革と生存の同時進行で、なりふりかまってられない状況である。まあ、社長が社長であることを確認する瞬間でもあるが・・・。

当サイトとでは、メンタルの問題を中心に取り上げているので、変革の話は経営とかがテーマの別のサイト(例えばMyROUTINE)でしようと思うが、読者の大部分は、自分の認識を変化させることによってある程度、心の問題は対応できると考えている。あなたが会社を救える唯一の救世主じゃない、でも、とりあえず、自分でできることをリストアップして、それらが何故できないのかということを潰して行き、できるようにしていくのが、求める答えだろうと思う。

景気に気という字が入っているのも、しょせんの人間の気持ち次第ということを表しているのだろう。気持ちを変えることによって変えられることがあるということ。

今は、企業はあなたを守ってくれない。だれでも自分のことで精一杯。自分自身は自分で守る。究極は自分で自分を守るために、自分を強くしていかなければと思う。

褒める、叱る

経営者を経験して、その中で人を使う際の「褒める、叱る」がなかなかできず、悩んだ時期があった。特に、どう叱ったら良いのか葛藤していたと言っていい。人は、いい人と思われたい訳で、嫌なことは言いたくない。当然の感情である。

ある創業者セミナーで、人をどう使うかってテーマの中で、印象深かった言葉があり、それ以来ちょっと心がけている事柄がある。人は、自分自身のことをどう考えているか。大体3種類の考え方を持っていると分類できる。一つは、いわゆるポジティブな考え方で、将来は、今行っていることを乗り越えることにより、さらに良くなる。人生は機会の塊であると考える。このような考えをする人は稀で、こういう人が沢山いれば企業は楽だが、現実そんなことはないって話。次の2種類がある意味衝撃的だった。自分はツイている、恵まれている、ので人生何とかなる。という考え方と、その逆で、自分は何をやってもツイていない、恵まれていないので、ダメだという考え方。つまり、自分の努力や行動で人生が動くのだということを、深くは意識していないって人。経営者は、こういう人たちも使っていかなきゃならない。こういう人を褒めたり叱ったりする時、決して、その人の資質や、能力を言うのではなく、その人の努力、行動を言えという。なぜか。仮に、その人がとても優秀な大学を出て頭が良いとして、「さすが、頭が良いね。すばらしい!次もその調子で」と言ったとした場合、本質的にツイていると思っている人は、何もやっても何とかなるし、やらなくても何とかなると思っちゃう。逆に運が悪いと思っている人は、今良くても結局は変わらないよって、思っちゃう傾向がある。だから、それだけの時間よく頑張ったねとか、繰り返ししたのが良かったとかの言い方で、努力や行動を褒めないと、「ツイてる、恵まれている」って次元だけで留まり、持っている資質をさらに伸ばすという動機にならないからという。この3つの考え方は、その場では3タイプという言い方をしていたが、一人が1つの考え方ではなく、どんな人の中にも、3種類存在すると思う。

その話を聞いていた時、ふと、気分的に落ち込んでしまっているとき、自分は今、ツイていないとか、恵まれていないって考えがあるような気がすると思えてきた。そんなとき、自分の資質について他人から言われた時、自分の人格を言われているようで、なんか否定された気になる傾向がある。努力とか、行動を言われた場合は、そんなにカンにさわらない。言い方一つで、ずいぶん分気分、メンタルへの影響が蓄積的に違うんではないかと考えるようになった。

何気に、組織内で人に接しているとき、褒めようとその人の才能、資質を取り上げてしまう時が多いが、それが、アダになっているケースがあるということを肝に銘じた事柄であった。それ以来、努力、行動を褒めたり叱ったりするようにしようと心がけるようにしている。

戦争とメンタル・DSMの発展

現在の精神疾患を診断するものとして、米国でDSMⅣがある。アメリカ精神医学会が発行している「精神障害の診断と統計マニュアル」(Diagnostic and Statistical Manual of Mental Disorders)の4回目の改訂版である。世界で最も大きな影響力を持った精神疾患診断基準である。この、DSMの発展の歴史、特に症状の捉え方が面白い。第1版は1952年に精神疾患とまだ呼ばず(REACTION)「反応」という名で登場しているからだ。

精神疾患を表す表現言葉は、差別用語の塊である。これはどこの国でも同じようである。「きちがい」という言葉に代表されるように、疎んじられている。日本でも結婚に際して家柄調査をした時期があったが、家系に精神病等の人がいないかどうかチェックする意味もあったのだと思う。確かに、精神疾患にリスクのある遺伝子がある事もわかってきているし、そのような事を経験的に知っていて、身辺調査などはこれを、忌み嫌う風習からだろう。逆に、精神疾患は、一部の特殊な人たちがかかるもので、通常の人にはならないと考えられたことから、まともに正面にとらえられていなかったのかもしれない。

1952年は、第2次大戦の後で、戦争の後遺症としてアメリカで従軍兵が精神疾患を患うようになり、これが社会的にも問題になっていたときである。要は、一部特殊な人でなく、極限状況を体験すると、通常の人も患う可能性があるということがなんとなくわかってきた時でもある。そんな社会的背景を抱えた1952年と言う時期にDSMの第1版が出来たのである。そこに、大きな意味があるのだろうと思っている。最近では、湾岸戦争の米兵、アフガン戦争のロシア兵に戦争後遺症が見られるという話しを聞くが、このことはとりもなおさず、経験するイベントにより、健常と思われていた人にも環境要素、薬物等により精神疾患になりえる事を心理学を知らない一般人にも端的に示したと思う。

日本は、幸いにも、戦争症候群が第二次大戦以降ない。だから、社会的にも精神疾患は一部特殊な人がなるものと言うとらえ方をしていたのではないかと思うが、最近の不況など、環境要素によって発症する人が増えていることに、遺伝的特殊性ではないことが感覚としてわかってきている。

恐怖や不安にさらされ続けると健常者も発症する可能性がある。自身マイルティーンというこのサイトで提起したいことは、恐怖や不安に対してどう対処するかにより、メンタルタフネスを得るかというテーマである。

自殺大国日本

日本は他国から見たら自殺大国という。自殺者は年間に約3万人を超えるということは、一日に約82人を超え、18分に一人、多い年には15分に一人のペースで自殺が起きるという。

自殺自体が多いということは、我々日本人の伝統、価値観に起因していることが多いと考察されている。西洋人から見ると、サムライの切腹という行為は奇異に見えるが、日本人からしてみれば、責任の取り方として名誉ある行為として捉えられている。名誉の戦死といえば、第二次大戦中の神風特攻隊があげられるが、この行為も米軍兵には脅威と映っていたという。

「生き恥をさらすくらいなら、いっそ死んでしまいたい。」そんな心境は、この辺りにあるかもしれないし、宗教的に、キリスト教徒違い、自殺を罪と捉えてこなかったということもあるだろう。自殺すれば、お咎めをそれ以上受けない、死を美化する寛容的な考え方があるのかもしれない。

最近のことで、世界に衝撃が走ったことと言えば、当事現職であった松岡利勝・農林水産大臣の自殺が記憶に新しいだろう。確か資金管理団体が、光熱水費がどうのということを追求されていた時でもあるが、自らの潔白を主張したとの扱いで、死が、それ以上の追求を阻んだ格好だったと記憶している。他の文化に育った人には摩訶不思議に感じたと思う。死ぬほどのことなのか???説明責任、再発防止はとなると手付かずだったような気がする。

是非はともかく、自殺ということが、、けじめと結びついてしまっているとしたら、厚生労働省が唱える自殺予防対策は、この辺りの価値観を変えるような事をしなければならないだろう。不況等の社会的環境の変化で、働く人へのプレッシャーは大きく、自分の責任を果たせないという思いで、思いつめる人は多いだろう。そんな人たちに「責任を取る=死んで詫びる」という考えから、切り離す新たな価値観を提供しないと、なかなか前に進まないであろう。

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