「驚き」の表情

驚き「驚き」の表情は眼の上、特に眉毛にその特徴がある。びっくりするときは眼が見開かれとよく言うが、まぶたが上に開くのは、他の「怒り」「恐怖」にも見られるが、それらと決定的に違うのは「驚き」は眉毛が上がるということである。さらには、下あごが開かれ口が開き気味になる特徴がある。​

美容整形と化粧

美容整形と化粧は心理面ならびにどのようなアピアランスにするのかという点で、ある意味共通点と差異点がある。この二つを主に行うジェンダーは女性なのだが、社会的な変化とともにそれぞれに対する風潮も変わっているように思う。

まず化粧についてだが、私個人の化粧に対する考えというのは古典的なもので、異性を惹きつけるために行うものだと考えていた。一般(そうでないものも多いが・・・・)に動物の求愛が、雄ならば男性的で力強い表現をするし、雌ならば、母性的な子育てが上手だという部分をある程度強調するものだと考えている。したがって、この傾向は人間にもあるていど適用されるだろう。しかし、人間の男性なら現代なら力を象徴するお金であったりに異性は惹かれるものだとも考えている。まあ、ある意味実に即物的、生物的な概念を自分は持っていたといえる。ところが改めてこの領域を調べてみると、19世紀以降科学の進歩によって化粧というものが高度化、さらには20世紀に入ってメディアによる化粧広告の普及に伴って社会化したことにより、化粧品という道具を利用して人間の「見た目」に対する対応が大きく変わってきていると言える。21世紀の今、いまさら化粧についてそれを否定する意見など一般にはほとんど見かけない。化粧に関して批判的になるのは、いささか日本人的ではあるが、電車の中で化粧をする女性を見て、なんて恥知らずだって思う自分は、要は化粧をしている姿を晒していることが、「自分が化粧をしてそれを見ている人を特に異性として意識していない」「公共の場所で行うのはルール違反だ」って思うことであって、化粧その物を否定していない。化粧の時代的変化は、昭和初期は「薄化粧」が良いとされていたし、それ以前は、「白粉」「紅」「お歯黒」「髪型」って事とされていたが、時代とともに変わっているものだというのはみなお気づきのことでしょう。ただ、いまどき「髪型」を化粧の一つと入れる人はいないでしょうが、江戸時代は顔装飾の非常に大事な化粧の一部となっていたようです。江戸時代までといえば、紅の引き方、眉の書き方(剃っていた?)も今ほどバリエーションがあったとは思えない。要は、今ほど違った印象を他人に与えるほどの、技術(科学も含めて)はあったとはいえないのではないか。(化粧に関しては改めて書きたいと思う)

しかし、整形について改めて調べてみるとそこには、いろいろな心理的な要因がある。身体的欠陥(火傷等)を補うために行う整形もあるし、美容のための整形もある。「美容整形と化粧の社会学」谷本奈穂著によると、整形には大きく言えば、他者の為、社会への配慮とともに、最近では特に自己満足のためという動機が増えてきているらしい。個人的なイメージでは整形といえば「顔」に対するもが多いと考えていたが、それはむしろアジア的な発想で、欧米ではむしろ体型補正のための整形が多いらしい。要は、私の持っている整形含め、化粧という概念は狭くいが、整形や化粧には、「強調」「変化」「補正」といろいろな方面を含んで考えなければならないようだ。心理領域は化粧と整形はほぼ同じなのだが、決定的な違いは不可逆性。要は、化粧と違い整形は整形前の姿には基本戻せないこと。変身という願望に対しての決意が強いほど整形に進むようだ。身体的欠陥を補うために行う目的の整形派別として、それ以外の整形が他者の為ではなく、外見的変身をする決意が「自分のため」ということが多くの理由になっていることからも、私が持っていた異性にモテたい為という理由だろうという考えが、かなり的外れなのだということが分かりショックだった。

でも調べれば調べるほど、化粧ということを人間ほど頻繁にする動物は存在せず、科学まで使っているし、文化とか、文明と結びついていると感じる。茂木健一郎ではないが、化粧することは他人から見た自分をどれだけ意識しているかって言う領域で脳を使っているんだと思う。

 

 

IPS細胞とES細胞

少し顔から離れますけど、前回IPS細胞について少し触れたので、少し補足しようと思います。

そもそも、再生医療って最近よく聞く言葉の中でIPS細胞とES細胞って結構多く出てきていると思いますが、恥ずかしながらそれぞれの細胞の違いについて知りませんでした。でも、両者の違いが道徳観を大きく刺激しているようです。元々、動物、一つの受精卵から作られるわけで、いわばその1つの受精卵がありとあらゆる部位に変化を遂げるわけです。だから、今巷で言われているスーパー細胞、どんな部位にでもなる細胞は理屈的になんら不思議ではないらしいんです。個人的には最初聞いたとき、そんなバカなって思いましたが・・・。IPS細胞は、一定の細胞を人工的に加工し増やしていくことにより作ります。そしてその過程で、癌になってしまう細胞もあるようです。ES細胞は受精卵を使っていろんな部位に変化する前の細胞を加工することで作り出します。IPS細胞に比べES細胞は癌の確率は低いですが、受精卵を使うってことでその製造のための生産性は極端に落ちます。しかし、実はES細胞を樹立するには受精卵が必要になりますし、受精卵はいずれ成長しヒトになる細胞です。「ヒトがヒトになるのはいつか」が倫理的に重要なポイントになりますので、安全性は高いのですが倫理観から ES細胞 を許していない国や宗教も多いのです。

ES細胞を樹立するには受精卵が必要になります。受精卵は精子と卵が結合したものです。これは1個の細胞でしかありませんが、いずれ成長しヒトになる細胞です。「ヒトがヒトになるのはいつか」が倫理的に重要なポイントになります IPS細胞は、元々自分の細胞なので上記のような道徳・倫理観の問題は起こしません。

それぞれの、細胞の問題とは別にこれらの細胞をどう再生させたい部位に定着させるかがポイントです。

まだ、細胞で一つの部位を作るまでとても行きませんが 、最近はわが国の技術によって、「細胞シート」というものができて、その細胞シート数枚までなら重ねて利用できるようで、医療現場で大変な注目が集められています。

こと医療ということになると、見た目がどうのということよりも、患者を如何に生かすかって事が優先になります。ただ、ある程度これらの細胞が経済的に入手可能になると美容整形、アンチエージングの領域で使いたいって人が出てくることも事実でしょう。お金に物を言わせてES細胞を利用するってことも十分考えられます。このあたりになると、「感顔」の領域の心理とは別次元の論議になるでしょう。

ただ、年をとっている人に、細胞的に年齢的に若い細胞を利用して、皮膚や筋肉を若返らせることは十分に想像できます。その手法は果たして化粧、整形に入るのでしょうか?私にはわかりませんが、おそらく違う呼び方が出来るでしょう。まあ2つをとって「整化」とでも呼びましょうか。想像できることは、ほくろ除去手術が整形手術に感覚的に入らないように、違うものになっているでしょうね。

プラスチック

整形手術、美容手術のことをplastic Surgeryとかcosmetic surgeryと訳したりします。cosmeticとは化粧とも訳されるのは分かるとしても、なぜplasticっていうのだろうとちょっと考えていました。まあ、プラスチックって意味だけでなく、俗語で、見せかけとか、人工ってこの言葉が訳せるのでそこから取ったようです。まあ、確かにcosmeticもplasticも人間がすることには変わりませんので、ある意味これまでの常識では正しい訳なのかもしれません。

化粧と整形ではどう違うかといえば、整形は限りなく不可逆的な行為だということです。一度整形を行ってしまえば、原則、元の状態には戻りにくいということになります。整形は、元々は美容ということではなく何らかの肉体的欠陥を物理的に補おうとすることから始まりましたが、それこそ今では、プチ整形とか呼んで、目じりとか鼻とかを少し修正するのが女性の間で当たり前のようになっている風潮も一部であります。

男性である私は整形というと、顔とか、脂肪吸引とかの割と大事のようなイメージを持ちがちですが、ここ数年のあらゆる年代の女性を対象にアンケートをとると、一番したい整形は、ホクロとか、しみとかの除去だそうです。これは年代関係なくほぼ共通で、ホクロとか、しみとかの除去などは、儒教的な「親から貰った体にメスを入れるなんて」っていう感覚に程遠く、施術を行った人に聞いても、確かに処置の後は本人的には分かるだけど、化粧をしたら分からないし、気軽に行っても問題ないって感覚があるようである。実際、親にも何ら抵抗なくそういう施術を行ったといえるのでしょう。視力の手術であるレイシックも男女関係なく普及していますし、そういう意味では、手術自体の成功率と関係するでしょうが、個別の成功率の高いものはますます普及するのでしょう。最近言われている目に関するIPS細胞を移植して白内障の治療に使うとか言われていますが、要は再生能力に優れた細胞を使って、若返らせることにより治療しようということですが、IPS細胞は目に限らず他の部位にも適用できるので、肌を若返らせるってことも将来可能かもしれません。

昔アメリカで「600万ドルの男」というのテレビシリーズがありました。主人公が滑空テスト中に事故にあい、命は取り留めたものの、左目失明、右腕・両足不随となる重傷を負い、NASAのメディカルスタッフによって失われた人体を補完強化する改造手術を受けてバイオニック・マン(サイボーグ)となる話です。この話で、いわゆる人間を強化するって部分に、人工的なパーツを使いそれを果たしているのですが、今よく言われるICチップを人体に埋め込むって話と、どう違うのかなって考えてしまいます。現状、埋め込み式ペースメーカもありますし、位置発信機も使われています。それこそ、まだ人体の補強強化ってところまで来ていませんが、いずれはそうなる日が近いと思います。 だんだん、このように技術が進み、施術の成功率が高まると、我々の日常生活に当たり前のようにこれら「整形手術」が普及することとなるでしょう。そうすると、これらの施術は整形手術、美容手術すなわちplastic surgeryとかcosmetic surgeryとは言わなくなるのかなって、思うようになりました。補強手術すなわちenhancement surgeryに言葉が変わるのかもしれないなって思います。

ホクロ取りって手術と、IPS細胞移植って手術、さらには、顔などの美容手術と補強手術ってもちろん内容は違うのだろうけど、精神的に受けるイメージっていうのはづいぶん変わっていくのだろうと思います。

男性の外形的変身の幅

男性は女性ほど化粧を自由に出来る人がいませんが、それはなぜなんだろうかという疑問にぶつかります。個性が叫ばれている現代であれば、選択の幅が多くあっても良いはずです。しかし、男性は女性より変身の幅が少ないと思うのです。化粧に限らず、着る物のファッションも含めて少ないように思います。眼鏡なんかもそうなのではないでしょうか・・・。おそらく、社会的圧力として、男性は仕事するのが当たり前な人という意識が強いのかもしれません。そのせいか、仕事着としてのスーツは色もデザインも19世紀以降基本敵意に変わっていないように見えます。生活の中心が「仕事」と感じられている度合いが、一般に女性より高いのだからかもしれません。よく男性は目的志向が強く、女性は関係志向、過程志向を尊ぶといいます。つまり、一途な男とマルチな女って表現が当っているのかもしれません。周囲からの目をどのように意識しているかってところがファッションの変化幅を考える上でのポイントである可能性が高いと思います。一般に言って男性がファッションへの関心が低いのは、ファッション自体が最終目的でなく、それを纏とってしたい事が関心事だからでしょう。ファッションは目的への通過点、せいぜい社会的にこれが妥当、及第点っていうものであれば、あまり考えなくて済む分良いのかもしれません。その点、女性は目的も大事なのでしょうが、その過程で自分がどう達成したか、その目的は自分とどう関係があったのかを意識し、それを達成した時の自分が周りからどのように見られて、どう演出したいのかを考える分、自然とファッションや化粧に関心が行くのかもしれません。

「真剣に遊ぶ」という言葉がありますが、これはどちらの性にも当てはまるはずなのですが、集中的に遊ぶという意味からイメージ的に男性的な感じがします。つまり、「遊ぶ」という目的に対して、マルチな女性に比べて、ワンモードの男性にはその遊びを征服したいという志向が出てしまい、周りとの関係性を尊ぶ女性と楽しみ方が違うのかもしれません。よくトランプをやっていて、男性がゲームに勝つことに真剣になることに対して、女性は集団でゲームをして楽しんでいる体験を尊ぶ辺りが志向の違いに出ているのかもしれません。周囲の中の自分という物差しを持ちがちな女性の方が、集団の中での自己表現に対して敏感なのでしょう。洋服などのファッションや化粧のより大きな消費者はこの辺りもあって女性中心ですが、でも作っている人には、男性が多かったりするのは、先の真剣さと関連するのかも知れません。

いずれにしましても、外見に対する追求度は少なくともマーケット規模を見る限り、女性の方がバリエーションが豊富な分好奇心が旺盛だといえるでしょう。仮に、最近の男性が外見をより意識して仕事でもいろんなファッションを使うようになっているとしたら、だんだんマルチ志向になっている可能性が高いのかもしれませんね。

 

機能からファッション性

順番整合性はないかもしれないですが、なんで、進化心理に化粧心理なのかって自分なりの考えを述べます。

私が追求しているテーマでこのサイトでは触れていないですが、アントレプレナーシップ(起業家精神)という領域があります。その中では最近起業した企業と創業者の目的などに触れています。それこそ、多数の起業家の話を聞くわけですが、その研究の中でBESPOKE INNOVATIONSという、義肢等を作る会社の創業者の一人の話に私はハッとします。メガネは本質的には弱視を補正する医療的発想から発展しましたが、今ではメガネフレームのファッション性で選びます。黒ブチ、金ブチ、フレームなし、形状等今の技術の粋を凝らしたものの中から、自分の気に入ったものを選びます。それこそ自分の顔に合った、自分の求めるイメージにあったものを選ぶわけです。スコット・サミットというその創業者は、なんで眼鏡で人はそうしているのに、義肢でそうしないんだろうというテーゼに挑戦しているわけですね。何らかの理由で腕や、足をなくした人がいたとします。以前の考えだったら、なくした所を補正するのは元の形に近くするという心理だったわけです。ある意味、技術レベルが何とか隠すとか、似せるとかの領域だったのかもしれません。しかし、今の技術はどんどん進んでいます。今では義足で走る人が、五体満足な人と遜色ないスピードで走れるのです。そのぐらいのレベルです。そしてスコットは、そのレベルの義肢を単にもとの状態に似せる段階から、よりかっこよく見せる、ファッション性を加えるってことに挑戦しているのです。

人間の持つ英知、技術を体に補完して機能を満足させるにとどまらず、ファッション性を加える。その発展心理は整形とそっくりです。整形は元々医療行為で見た目を補完修正するところから始まりましたが、今では、イメージ的にも経済規模的にもファッション性にシフトしています。器具を使うメガネに至っては、弱視補正は当たり前でファッション性の比率が高いです。

介護ロボット、筋力補完ロボット、EPS細胞や人間にチップを埋め込むとか・・・。今人間の体を補正、さらには補強するような技術がいろいろ考えられていますし研究されています。人間は進化していきますが、その過程でメガネのように必ず機能だけではなくファッション性をも求めていきます。私は、伝統的というか古い男性なので、私にとっては化粧心理というのはまったく未知の領域です。でも、アントレプレナーシップ、そして心理学を知るようにつれて、ファッション性を追求する心理というのが変化や進化を追及させる原動力の一つではないかと考えるようになりました。ファッション性って軽く見られがちですが、機能の次に求められるもので、今後も人類が発展する上で進化するものなのではないかと思います。

 

顔相学は分からない

実は、感顔というテーマで書こうと考えたときに、顔の印象として、動きのある顔の表情であるマイクロエクスプレッションとは別に、眼とか鼻が大きいとどのようなことかという筋肉の動きとは関係ない顔相学の分野や、化粧の領域について、時代背景や、洋の東西の違いなどを調べて私なりにまとめようと考えていた。顔相学は中国の顔のパーツを分析することにより出てきた考えが日本では一般的なのだが、顔相学自体は西洋にも独自なものがあるようで、中世の小説等にその影響が見えるという。ただ、西洋のこの領域文献が少ないようで、裏を取れなかったのだが・・・。まあ、顔相学という分野はともかく、先日、自分の顔をアニメ化して、描画ソフトで眼を大きくしたり、眉をいじったりして、どのような印象を人に与えるかをずいぶん検証したのだが・・・・、どうも、少なくとも顔相学に関しては、自分では分からなかった。自分を悩ませたのは、目を大きくする、垂れ眼、つり眼といろいろやっても、表情から受ける印象に引きずられてしまい、顔相学での性格・気質まで判断することが、どうも少なくともサンプルが少ない状況であれば出来ないということだった。

ただ、同じ静的な状況で行う化粧に関しては、心理的にする方も、受け手もいろいろ作用するだろうという印象は受ける。この化粧、心理上に与える部分と、純粋にどう見せるかという化粧法という術の部分とはテーマが別個にあるような気がする。まずは心理ということを見るために、整形や、眼鏡とかの補正具が心理に与える影響について考えてみたいと思う。術については挑戦しようという気持ちがないわけではないが、おそらくいろいろな先進のものがあるであろうからそちらに譲るとする。

化粧の極端な形、美容整形というテーマについて次回以降少し掘り下げようと思う。

相手を認めて承認する

リーダーって、どうやってリーダーになるのでしょうか?本人の努力でしょうか?無論それも必要ですが、それが実は決定力ではないのです。それは、仲間から信頼され承認されているからリーダーになれるのです。そう、周りが決めるのです。自分が決めるのではありません。もちろん、周りから認められるための努力は必要でしょう。いろいろな知識があるということも一つの要素ですが、リーダーとして認められるためには行動で示さないとならない部分が多いと思います。どういう行動が必要かって部分はここでのテーマじゃありませんし、たぶんケース・バイ・ケースで分からないと思います。

また、リーダーにならなくても相手を認めたり、認められたりします。人間は群れの動物ですが群れを形成する上で、この認める、認めないっていうのは群れとの関係性を意味しますので極めて重要な役割を持ちます。すなわち、相手を認めて承認する。この表情が上手くできたならある意味、その人の悩みはかなり軽減されると感じるほど、重大なコミュニケーションであると思っています。

承認の目線:

見上げる目線見下げる目線

正面目線

よく、見上げる、見下げるっていいます。相手と自分の立場によって使い分けるのですが、実際やってみてどのような印象を与えるか、上記の3つの写真でお分かりかと思います。3つとも笑って同じような穏やかな表情をしたのですが、見る角度によって印象が違います。これはカメラの位置を違えて撮ったのですが、要は相手の目線がどこにあるのかで、このような違いで見えるわけです。つまり、相手と会話するときに、どのように見えるかが分かるわけです。知らず知らず、右のように尊大そうに見えることもやっているかもしれません。

どれが良いとはその相手との関係があるので一概に言えないのですが、相手がどう自分を承認しているのか、自分が相手をどう承認しているのか、目線で分かってしまう可能性が高いです。

承認の仕草って読むのは難しいのですが、総じて、受け入れるほうは笑って迎い入れる格好をします。いわゆるオープンなジェスチャーを取りますし、受け入れてもらうほうは、頭をたれて飲み込まれるのを許容するような格好をしています。この辺りを鑑みますと、頷き方で自然と本音が出たりするのではないでしょうか。

 

顔相

顔相といっても顔のつくりだけを見るのではなく、表情、眼鏡のかけ方、化粧まで見る。大きな意味でその人そのものを見ると言ってよい。ヘアースタイルを見ることは少ない。人相学の大原則として、
栄養質
筋骨質
心性質
というものがある。栄養質とは女性に本質的なもので、男性の中にどれだけ女性的な要素が含まれているかを見る。筋骨質とは名前からも分かる通り男性に本質的なもので、女性の中にどれだけ男性的な要素が含まれているかを見る。心性質とは知能の程度を表す。全体的な傾向として上がり気味だと筋骨質、下がり気味だと栄養質が入っていると言える。
歴史 [編集]
 
ヨーロッパでは古くから人相学の研究が盛んに行われ、古代ギリシャではヒポクラテス、アリストテレス、プラトンなどが古代西洋人相学の基礎を築いたと言われる。18世紀にはスイスのラファターがそれまであった多くの文献をまとめた『人相学断章』を著した。またドイツのクレッチマーなどは現代科学の側面から人相を研究した。
日本で最も古い相書(人相学の本)とされるものは室町時代の天山阿闍(てんざんあじゃ)著の『先天相法』である。元禄時代にはアジアから大量の相書が輸入され、民衆の間に人相学が広まった。この頃から浮世絵などで人物の性格を表すのに人相学が使われるようになった。明治時代には目黒玄竜子が熱心に研究し、二代目玄竜子は人相学を体系付けたと言われる。
 
人相学 physiognomy
 
面相学 (metoposcopy)、骨相学 (phrenology)。
顔相といっても顔のつくりだけを見るのではなく、表情、眼鏡のかけ方、化粧まで見る。大きな意味でその人そのものを見ると言ってよい。ヘアースタイルを見ることは少ない。人相学の大原則として、
栄養質
筋骨質
心性質
というものがある。栄養質とは女性に本質的なもので、男性の中にどれだけ女性的な要素が含まれているかを見る。筋骨質とは名前からも分かる通り男性に本質的なもので、女性の中にどれだけ男性的な要素が含まれているかを見る。心性質とは知能の程度を表す。全体的な傾向として上がり気味だと筋骨質、下がり気味だと栄養質が入っていると言える。
歴史 [編集]
 
ヨーロッパでは古くから人相学の研究が盛んに行われ、古代ギリシャではヒポクラテス、アリストテレス、プラトンなどが古代西洋人相学の基礎を築いたと言われる。18世紀にはスイスのラファターがそれまであった多くの文献をまとめた『人相学断章』を著した。またドイツのクレッチマーなどは現代科学の側面から人相を研究した。
日本で最も古い相書(人相学の本)とされるものは室町時代の天山阿闍(てんざんあじゃ)著の『先天相法』である。元禄時代にはアジアから大量の相書が輸入され、民衆の間に人相学が広まった。この頃から浮世絵などで人物の性格を表すのに人相学が使われるようになった。明治時代には目黒玄竜子が熱心に研究し、二代目玄竜子は人相学を体系付けたと言われる。
 
人相学 physiognomy
 
面相学 (metoposcopy)、骨相学 (phrenology)。